今からおよそ60年前の1960年。カラーテレビの本放送が始まり、国民所得倍増計画が発表されたその年、まだまだ日本は高度経済成長の途に着いたばかりでした。
コラーゲンという名前は一般にまだ馴染みの薄いものでしたが、研究者の間ではすでに認識されていました。それは「動物の体内に非常に多くあるタンパク質」であると同時に「水に溶けないタンパク質」というものでした。
その当時、日本皮革(株)が作った財団法人である日本皮革研究所[現(株)ニッピのバイオマトリックス研究所]研究員であった西原富雄博士は、水に溶けないとされていたコラーゲンを、「トリプシン」と「ペプシン」という酵素を用いることで完全に溶かせる、という事実を発見し、特許を取得します。(特許番号:第306922号)。
この特許を出願した日が1960年の1月26日。
コラーゲンが広く応用されるようになる第一歩を踏み出した、記念すべき日として、「コラーゲンの日」と制定されました。
この技術の開発が、工業的・効率的にコラーゲンを製品化することを可能にし、今日のコラーゲンを使用した各種製品の基礎として、コラーゲン研究を大きく進める出発点となりました。
西原博士はこの技術特許により、世界的なコラーゲン研究の第一人者としての地位を確立し、さらにコラーゲンの医療分野への活用を目指し研究を続けました。
しかし残念なことに特許取得から4年後、43歳という若さで急逝します。
西原博士の死後、彼から学んだ多くの研究員によって研究は続けられ、食品、医薬・医療をはじめ美容等のあらゆる分野でコラーゲンが原料として活かされています。
さらに近年では、コラーゲンのさまざまな可能性を求め研究が行われ、体内でのコラーゲンの働きについても多くの事柄が解明されつつあります。
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